油絵専攻ではGW明け、宿題として出していたドローイングの数々が勢揃いでした。日記的に描いてきたものや立体を作ってきた子も、、!このような創作は受験に向けた特訓は勿論、その後の大学生活や卒業してからの作家生活へ向けても必要な習慣だと思っています。今回は然る有名な人物から習慣づけに関して、皆さんの肥やしになるメッセージを預かってまいりました。こちらの方です!


どうも伊能忠敬です。


私は測量機器を用いて日本地図を作った男。歩いて各地をまわるのは国土の形を知る以上に更に特別な価値がありました。今回はその気付きについて話したいと思います。
「百聞は一見にしかず」この諺(ことわざ)を皆さんは深く意識したことがありますか?この見る行為は実体験を示しています。人から聞き集めた情報に一度の体験は勝るんです。Googleマップで日本だけではなく世界中を閲覧できる昨今、日本を歩きまわったこの足が誰より日本という土地を知っています。四季折々変わる気候や切り開かれた土地、そこに関わる人々、根付く生命などが基礎となり形作られる景色の百面相。これらを果たして画面の上や人伝から知って感じ取ることが可能でしょうか?
私の勝手なイメージですが創造表現するためには理想とルーツ(根底にあるきっかけ、起源)が必要です。夢見るような幻想・目的への崇拝が作るための動機となります。叶わぬことへの嘆願や疑似実現を平面、立体、映像などの形にして世に生み出す尊い行為。それら創作に向けた動機に気付くため必要なこと、それは自身を探ることです。自らの創作は一体何に魅了されて始まった活動なのか?源流を見つけることで活動を始めた際のトキメキを思い出せます。私は正確な暦を創るため地図の測量を行いましたが、各地にある風土の多彩さに触れて魅了されていました。日本の大地はなんて雄弁なのかと。この感動が活力となり、寸分違わぬ国土の計測は達成されたのだと思っています。

皆さんが油絵を、もしくは描くことを嗜むようになったのはいつ頃のことだったのでしょうか?
試験だなんだと大変な思いをしてまで描くことを辞めないのは何故でしょうか?
いつの日か創作に心を奪われた日の記憶を思い出してみてください。「日本一周を測量するのに4万キロ歩く」なんてどうってことのない苦難でした。皆さんの理想の創作もそんな遠い道のりの先に間違いなくあります。

少しづつでも進むことを忠敬はお薦めします。


以上が伊能忠敬さんからのメッセージでした。私も何か考えに詰まるときは海を見に行ったりしますが、こんがらがった考えや不安がスゥッと抜けるのを感じます。手元の作業に戻ってくる情報の多彩さって確かに体験の有無が大事です。今回のメッセージが皆さんのメンタルや作業面などに役立てばいいなと思いました。