昨年の受験シーズンも終わり、すぐさま今年度の春期講習が始まりました。春は始まりの季節ですから何かと慌ただしく感じます。この時期に勢いをつけるため、とある著名人に激励の言葉を頂きましたのでお届けします。こちらの方です!

どうも宮本武蔵と申します。

最強、天下無双とは私のこと。天下に双つ(ふたつ)と無いから天下無双。つまり強いに関するオリジナリティーといえる。みんなの作品は一点ものだ。そのどれもが自分の身体、体験記憶の条件が重ならないと出来上がらない。

現代に残っている私の伝聞は数多くあるだろう。巌流島の戦いはあまりにも有名か。あの戦い、私は真剣に対して木刀で試合った。岩流の兵法者との約束。しかし不公平といった文句は出てこなかった。「弘法筆を選ばず」といった諺があるように、私にはものの良し悪しに左右されない技術がある。数え切れないほど修練した技は木刀を真剣とも遜色ないものにした。修練は裏切らない。

芸術家にとっての修練とは何か。私自身も水墨画などの心得があり、筆の運びを意識するとそのことについて思うところがある。身体操作に関して刀を振り抜くことの難しさ。足の平から脳天、指先まで連動して余すことなく体の力を伝える。それを邪魔をしようとする精神的不安や身体的不調に状況の変化、これを可能な限り取り除いたりコントロールをすることで一太刀の完成を見る。芸術家の目指す作品の完成と繋がる部分があるのではないだろうか。自身の特別な感情を各表現にて具現化する専門家。筆を操ることも単調作業というわけでなく、特別な感情に適した抑揚をつけて動かすのだ。オリジナリティを育てる難しさに直面している人はある意味正しい。自身の特別な感情は長い人生の中で育むこと。それを吐き出すのに必要な技能も一朝一夕では完成しない大事。芸術家にとっての修練は全貌の見えない大海を進む挑戦なのだから。

つまりは自分の人生を豊かにすることがそのまま表現の修練に繋がる。求道者としてそこから抜け出すことは剣の道と同様に叶わぬ。だから「見たことある、〜みたい」といった作品に対しての言葉が屈辱に聞こえる瞬間もある。それは成長を妨げもすれば、表現を諦めないためのプライドでもあって確実に人生のワンシーンを彩っていることだろう。天下に二つと無い自身に対する自覚というやつだ。必死になって頑張ろう。自分という芸術家の天下無双はすでに始まっている!

以上が宮本武蔵さんからのメッセージでした。芸術家としても作品を残している武蔵さんだからこそ、とても制作する側に寄り添った応援メッセージに感じました。確かに自分の内面を磨き上げるということは簡単な所作の端に現れてくる気がします。そういった部分を早い段階で意識するのも天下無双への道。これから受験まで、そしてその後も長く使える考え方です。学生の皆さんには是非自分のモチベーションに利用して欲しいと思いました。みんなもLet's天下無双!